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ロンドン・フィキシングの黎明(前編)

スタンダードバンク東京支店長、池水雄一氏が「池水雄一のゴールドディーリングのすべて2」で、ここロンドンで日々値が決められている、ロンドンFix価格の始まりから現在に至るまでの歴史を説明しています。

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今週はLBMAの機関紙 Alchemistにおもしろい記事があったので、それを基にロンドンの値決め(Fixing:フィキシング)の黎明を紹介しましょう。

ロンドン・フィキシングは日本語では「値決め」と呼ばれます。ただ実際には日本語でも「フィキシング」と呼ばれることのほうが圧倒的なのでここでは 「フィキシング」と表記することにしましょう。土日・ロンドンの祝日を除く毎日、ロンドンの午前10時半と午後3時にこのフィキシングは行われます。ひらたく言うとこれは「ロコ・ロンドン・ゴールドの競り(せり)」です。毎日、この時間には世界中での、ロコ・ロンドン・ゴールドのOTC(相対)の取引を中断し、すべての売りと買いのインタレストをこのせりに集中させるのです。

たとえばフィキシング直前のロコ・ロンドンの相場が1735ドルであったとするならば、フィキシングもほぼその価格で始めます。まず1735ドルでの売り注文と買い注文を集めます。この価格でたとえば買い注文のほうが多ければ、せりの価格を上げます。たとえば1735ドルから1736ドルへ上げたとした ら、1735ドルでは買いたくても1736ドルでは買いたくないというインタレスト(思い)が買い注文から減り、逆に1735ドルでは売りたくないが、 1736ドルだったら売りたいという新たな売り注文も入ってきます。この結果売りと買いのバランスが近いのものになって行きます。こうやって価格を変えて いくことによって、そのときの売り買いがほぼバランスする価格を探すのです。そしてそれがほぼ一致したところでFix と宣言され、それがフィキシングプライスになり、世界中に伝えられます。たとえば1736ドルでフィックスすれば、フィキシングの注文はすべてこの価格 1736ドルで約定されたことになります。

広く公開された透明な価格であること、そして何よりも「取引できる」価格であることにより、ロンドン・フィキシングはゴールドの世界ではもっとも信頼される指標価格となっています。鉱山会社や需要家は長期契約のベースプライスとして、このフィキシングプライスを使うところがおそらく100%と言っても過言ではないでしょう。買い手にとっても売り手にとってもその値決めの方法がフェアであること、そして何よりももっとも公に公表された価格であるからです。 現在、世界のどこにもこの価格に匹敵する指標価格はないと言ってもいいでしょう。先物市場Comexも東京工業品取引所も当然先物価格であること、そしていずれもほぼ24時間取引になってしまったがために、明確にこの価格という一点での値決めが難しいこと。日本でいうと小売価格や山元建値はあくまで小売店、鉱山会社の発表する価格であり、フィキシングのようにマーケット参加者が注文を集めて取引ができる価格ではないということで、フィキシングのような指標価格にはなりえません。そういった意味でロンドン・フィキシングは昔から今まで、世界で唯一の「使える指標価格」としての役割を果たしているのです。

さて、本題。このフィキシングはいつ頃から始まったのでしょうか。最近の調査では、フィキシングは短期間に今の形を整えたのではなく、実は何十年もかけて変わっていき、現在の体裁になったのは1930年代終わりの頃だったようです。

記録によるとゴールドフィキシングは第一次世界大戦前から存在したようです。当時は非公式に四社の貴金属商が集まっていました。Mocatta & Goldsmid、Pixley & Abel、Sharps & Wilkins、そしてSamuel Montagu & Co.です。そこで毎日「単一価格」が決められていました。それは第一次世界大戦で中止されましたが、戦後には公式な形で再開されました。1919年9月 12日午前11時にN.M.Rothschild & Sons がポンド建てのゴールド価格を発表したのが最初だったようです。同社は1914年まではマーケットメーキングにかかわっていませんでしたが、南アの鉱山会社の主な代理人としてBank of Englandに要請され、マーケットの議長となったようです。こうしてN.M.Rothschild & Sonsによって決められた価格によって前出の4貴金属商はゴールドを買うことになっていました。

最初はすべての取引が電話を通して行われていましたが、そのうち実際に会って行うほうが効率的であるとされ、貴金属商たちはロスチャイルド社のオフィス に集まるようになっていき、最初はフィクシング中は外部との連絡は禁止されました。このときはまだJohnson Matthey & Co.はメンバーではありませんでしたが、その後、精錬業者としてフィキシングに参加することとなりました。またそれぞれの会社のオフィスに電話をつなぐことも始められ、フィキシング中も各貴金属商が各オフィスと話し合いができるようになりました。現在も行われている「フラッグ(アップ)」(フィキシングを中断して、各オフィスと連絡を取る。)もいつの頃からか行われるようになり、後にはJohnson Mattheyの創始者George Matthey から送られたユニオンジャックが使われるようになりました。

(続く)

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池水雄一氏は、貴金属ディーリングの世界でも第一人者。上智大学を卒業後、住友商事、クレディ・スイス、三井物産、スタンダードバンクと貴金属ディーリングに一貫して従事し、現在はスタンダードバンク東京支店長。Oval Next Corp.サイトで市場分析ブルース(池水氏のディーラー名)レポートも掲載。

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